”日本人らしさ”を最大限活かすには?

”日本人らしさ”を最大限活かすには?

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このコラムは、北のサッカーアンビシャスにて掲載された記事を転載したものです。

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「日本人の特徴は何ですか?」

 

外国人の方に質問すると、必ず出てくるワードの1つは「謙虚さ」です。

この言葉の意味を調べると、下記の説明が記されています。

 

控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。

 

まさに、一般的な日本人の特徴を上手く表現している言葉だと言えるでしょう。

他人を敬い、礼儀を重んじ、忍耐強く、周囲と円滑な人間関係性を保つ。

この独特な感性は、「日本らしさ」を形成している土台となっており、スポーツの分野においても同様に大きな影響を与えています。

 

特に日本発祥の「武道」とは、切っても切り離せない関係性です。

武道において最も大切なことは「心技体の一致」と言われています。

武道の技術を磨くことは、体を鍛えると同時に、心も磨くことが非常に大切です。

 

「心を磨き、道徳心を高め、礼節を重んじる」

 

相撲、剣道、柔道…。日本発祥の全ての武道が「礼に始まり礼に終わる」のには、このような理由が存在するのです。

しかし、「サッカー」というスポーツにおいては、「謙虚さ」=「弱点」となる瞬間が訪れます。

我々日本人の特徴であり、最大の武器と称することもできる謙虚さが「最大の弱点」として、勝負の分かれ目の瞬間に足を引っ張るのです。

 

そこで今回のコラムは、私が7年間海外リーグのクラブに所属して気づいた「サッカーと謙虚さの関係」から、「日本人らしさをサッカーで最大限活かすには?」をテーマに筆を進めます。

 

 

目次

サッカーに「謙虚さ」は不要?

 

 

私たちは、幼い頃から「謙虚さを重んじる習慣」の環境で育ちました。

前述の通り、謙虚な姿勢は日本人の大きな特徴であり、日本の素晴らしい文化を築いてきた礎でもあります。

その反面、サッカーでは勝負の分かれ目で、謙虚さが「マイナス」に作用する場面が訪れます。

具体的には、謙虚さの裏に隠された「遠慮」「謙遜」を指します。

 

サッカーという競技の大きな特徴である「選手個人の自由度の高さ」の影響により、フィールド上では「個人の判断」が勝負の分かれ目で大きな役割を担います。

特にゴールを奪う瞬間、または失点を防ぐ瞬間は、「一瞬のひらめき」「感覚」を頼りにプレーする瞬間があるのです(この内容の詳細は先月のコラムで執筆しました)。

 

 

 

プレーの決断をするために選手個人へ与えられる時間は、ときに「0.01秒」の世界。

当然、そのようなプレーを繰り出す瞬間は、ゆっくりと脳で考える時間は存在しません。

ゴールを奪う場面や失点を防ぐ場面、いわゆる「勝負の分かれ目」では、「遠慮」や「謙遜」が『迷い』につながり、判断に費やす時間が「コンマ数秒」プラスされてしまいます。

まさにその瞬間が、足を引っ張る結果をもたらすのです。

 

 

勝手にウォーミングアップを開始したベンチスタートの選手に学んだこと

 

海外サッカー生活では、チームメイトや対戦相手に「謙虚さのかけらも無いようなヤツ」に何度か遭遇しました(少し表現を誇張しているのはご愛嬌で…)。

普段の生活やトレーニングを共にしていると、「もし、こいつが日本にいたら絶対に社会不適合者だな…」と感じるぐらい、圧倒的な個性を解き放つ「やんちゃ」な選手は、ピッチ上でも同様に圧倒的な存在感を発揮します。

 

たとえば、かつてチームメイトだった選手A。

普段はスタメンでは出場していない、いわゆる「サブ組」の選手でした。

しかし、練習からバチバチやり合うタイプの選手で、ときにはチームメイトと殴り合いの喧嘩をするほど気迫を見せていました(のちに喧嘩が原因でチームから追放されてしまったときは、本当に悲しかった…)。

この数行の説明だけで、日本にはなかなか存在しないタイプの選手であることを、読者の皆さまにはご理解いただけたでしょう。

 

とある試合で、その選手Aはいつも通りベンチスタート。

その試合は、私もスタメンを外れており、彼の隣に座っていました。

そして、後半開始早々に、私は自分の耳を疑うようなセリフを選手Aの口から聞くことになるのです。

 

 

前半を終えて、あまり内容の良くない雰囲気だった我がチームですが、その不甲斐ない戦いぶりを見ての発言なのか、それともただの自信過剰なのかは分かりませんが…

「この試合、オレが◯◯と交代してプレーした方が試合に勝てる」

と、自信満々に選手Aは私に告げました。

 

ちなみに、この試合はシーズンの中盤(開幕から10試合ほど消化したぐらい)に行われた試合で、その時点で彼のシーズン通算出場時間は約5分(1試合のみ途中出場)です。

日本人である私の感覚からすると、「それはないだろう…」と思っていたのですが、彼の常識は大きく異なっていたようです。

その発言の直後、自ら勝手にベンチ横でウォーミングアップを開始。

監督に「オレを早く出せ」と言わんばかりに、1人でダッシュを繰り返しています。

 

 

そして、勝手にウォーミングアップを始めた15分後、選手Aは白線の内側にユニフォーム姿で立っていました。

彼は左サイドバックというポジションにも関わらず、ゴール前まで走り込み「あとボール一個分シュートが内側にズレていればゴール」という、決定的チャンスに絡むほどの活躍ぶり。

その光景をベンチから眺めていた私は、今までの人生で経験してきた常識を0からひっくり返されたような感覚に陥り、とてつもない衝撃を受けました。

 

「謙虚さ」という言葉が全く似合わない性格の持ち主でしたが、もし選手Aが「遠慮」や「謙遜」を持つようなメンタリティーだった場合、絶対にこの試合に出場することはありませんでした。

まず、監督やスタッフの許可なく勝手にウォーミングアップを開始する時点で、私が知っていた常識からは逸脱しています。

仮に試合へ出場できたとしても、チームの主役となるようなハイパフォーマンスを見せることは、決して簡単ではありません。

 

しかも、サッカー経験者ならご理解いただけると思いますが、拮抗した試合の後半からサイドバックのポジションで途中出場すること自体、とても難易度が高いことです(試合の流れを崩さず、守備のバランスも考えつつ、攻撃も活性化させるというスーパー・ミラクル・ウルトラ・ミッションを課されるのが、後半15分から途中出場するサイドバックの宿命)。

選手Aに「遠慮」や「謙遜」という概念が存在していた場合、この試合で彼が活躍を見せることはなかったでしょう。

まさに、サッカーで活躍する上で必要な大胆さを、まざまざと見せつけられた瞬間でした。

 

このように、海外でプレーしていると日本の常識では考えられないような瞬間に、ときどき遭遇するのです。

 

 

プレー中に足を引っ張る「謙虚さ」

 

たまたま選手Aのエピソードが分かりやすい例でしたが、他にも日本の常識からすると考えられないようなメンタリティーを持つ選手を、私は度々目撃しました。

「謙虚さとかけ離れた選手」に共通していることは、「勝負を決定付けるプレーができる」ことです。

遠慮や謙遜という概念が無いので、プレーの選択に「迷い」がありません。

 

「迷いがない」=「思い切りの良さ」は、まさにゴール前での「一瞬のひらめき」や「感覚」を頼りにプレーする瞬間、最大のストロングポイントとして発揮されるのです。

ときに「0.01秒」という時間の中でプレーの判断が下されるサッカーにおいて、一瞬たりとも迷いが無い選手は、対戦相手からすると驚異でしかありません。

拮抗した試合でゴールを奪ってチームを勝利に導くような選手は、まさに「やんちゃ」な性格の選手が多い印象です(特にストライカー)。

 

※ゴールを量産してきたストライカーたち(引用:https://soccermagazine.jp/

 

もちろん、サッカーは「ミス」が多発するスポーツなので、そのプレーの判断がミスにつながることも多々あります。

しかし、良い意味での謙虚さが存在しないので、1回のミスを引きずることなく、思い切りの良いプレーを繰り返して決定的な仕事をするのです。

 

日本で生まれ育った私が、海外でプレーするようになってから一番衝撃を受けたことは、「サッカーにおいて『謙虚さ』がマイナスに働く瞬間がある」という事実でした。

 

 

日本人たるもの謙虚であれ!

 

以上のように、サッカーにおいて「謙虚さ」は、マイナスな部分が存在することをご理解いただけたでしょうか。

「結局、日本人の性格はサッカーに向いていないから、海外の選手たちのように大胆さを備えようっていう結論に至るんでしょ!?」と思われるかもしれませんが、私の結論は大きく異なります。

 

結論は、「日本人たるもの謙虚であれ!」です。

「えっ、なんで!?」だと思うので、具体的に説明していきます。

 

まず、日本の文化と海外の文化では、あまりにも環境が違い過ぎるという点です。

「海外」と一括りにしていますが、それぞれの国や地域によって文化や風習は大きく異なります。

例えば、日本にとってはアメリカも中国も”海外”です。

しかし、アメリカと中国を比較したときに、それぞれの国の特徴や環境が大きく異なるのは想像できますよね。

それと同様に、日本には”日本独自の文化”が存在するので、このような環境で生まれ育った以上、選手Aのようなメンタリティーの選手が沢山育つ環境にはならないでしょう。

 

 

また、日本人は遺伝的に不安を感じやすい人種であり、科学的にもその事実が証明されています(もちろん全ての日本人が該当するとは思っていませんが…)。

「不安を感じやすい」という事実の裏を返せば、「リスク感度の高さ」を示しています。

事前に入念な準備をすることや、長期的な視点で物事を考えることができる「日本人の長所」を、もっとサッカーに活かすことができれば良いのです。

日本で生まれ育った私が、いきなり明日から選手Aのようにオラオラしながら生きることは、かなり厳しいでしょう。

監督やスタッフの意向を無視してまでウォーミングアップをする勇気は、経験を重ねたからといって簡単に生まれるものではありません。

 

ですが、A選手とは違うアプローチでその試合の準備をすることは可能です。

普段から監督やスタッフと密にコミュニケーションを取ること、日々のトレーニングに100%の力で取り組むこと、いつでも途中出場できるようにメンタル面を整えておくことなど、「自分にとってのベストな方法」でサッカーに取り組むことが重要です。

そう考えると、我々日本人にとっては「謙虚さ」が、サッカーにおいても大きな武器として変換することが可能でしょう。

事前に正しい準備をしておけば、「遠慮」や「謙遜」という念も消すことができ、選手Aとは違う方法で「迷いがない」=「思い切りの良さ」を発揮すれば良いのです。

 

「謙虚さ」は日本人にとって強力な「武器」である

 

急速に進化する現代社会において、世界各国と同様に、日本も様々な分野での進化が必須です。

それは、サッカーの世界でも同じことが言えるでしょう。

ワールドカップ・アジア最終予選では、日本代表が簡単に勝てる試合が存在しない現状が、まさにその事実を物語っています。

 

日本人フットボーラーの端くれである私は、「日本人らしさとは何なのか?」を半強制的に考えさせられるサッカーキャリアを過ごしてきたからこそ、この変化が激しい時代において「謙虚さは我々日本人の武器となる」という結論に至った次第です。

海外リーグに身を置いて、入れ替わりが激しい「外国人枠」としてプレーする私は、いつクビを切られてもおかしくない状況の中でプレーしてきました。

その間、日本では考えられないような形でチームを去っていった外国籍の選手たちを、自分の目で何人も見てきました。

例えば、契約期間が残っているのに「前の試合でゴールが取れなかったから去ってくれ」と一方的に告げられて、強制的に帰国させられた選手。

あるいは、1試合だけプレーして、「使えないから帰国してくれ」と言われた選手。

 

ただ、幸いにも私自身は、契約したチームから前述したような不当解雇を経験したことはありません。

プレーでの結果はもちろんのこと、「チームが勝つために、謙虚さを大切にサッカーと向き合ってきたこと」は、大きな要因の1つではないかと自己分析しています。

About The Author

大津 一貴
夢を諦めて一般企業へ就職するも、22歳でがんを患い生き方を改める 。その後、脱サラして海外でプロサッカー選手に。モンゴル1部・FCウランバートル所属。1989年10月25日生まれ、北海道出身。

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