ゴールを決めたのに喜ばない!? サッカーと自己肯定感

ゴールを決めたのに喜ばない!? サッカーと自己肯定感

僕が日本で過ごしている期間、育成年代の子供たち(小~中学生)と一緒にサッカーをする、または指導の現場に関わらせて頂く機会が数多くありました。

その際に、僕が抱いた1つの疑問。

「なんでゴールを決めたのに、みんなでもっと喜ばないんだろう?」

この謎を紐解くと、日本サッカー飛躍の鍵がありそうです。

 

目次

ゴールを決めても喜ばない小学生

 

とある小学生の練習試合を見ていた時の光景です。

 

子供たちが一生懸命サッカーボールを追い、FWの選手がゴールを決めた瞬間です。

「ナイシュ~。」(ナイス シュートの略)

と、1人2人ぐらいの選手が、ゴールを決めた選手に一言。

しかも、聞こえるかどうか分からないくらい小さな声で…。

更に、ゴールを決めた選手も下を向きながら、小走りに自陣へ戻っていきます。

 

●大津の感想…

「暗っっ!!」

本当にゴール決めたの!?って感じの雰囲気でした(笑)。

たしかに公式戦ではなかったし、ゴールを決めたチームの方が相手チームより力も上で、点差が開いていたことも事実です。

でも、サッカーで一番盛り上がる瞬間である、ゴールを決めた瞬間がお葬式のように暗かった場面に、僕は遭遇しました。

それから、子供たちの試合や練習を注意深く見てみると、同じようにゴールを決めても喜んでいない子供たちの姿を目にする機会が、意外と多くありました。

しかし、自分の小学生時代を振り返ってみたとき、同じようにゴールを決めたのに喜んでいなかった時も、多々あった気がします。

 

なぜ、サッカーで一番盛り上がる瞬間であるはずのゴールを決めた瞬間、日本の子供たちは喜びの感情を表現できないのでしょか。

 

※全ての日本の子供たちやチームが、当てはまる訳ではありません。また、僕が見たときが、たまたま喜んでいなかった場面が多かっただけかもしれません。

 

環境や雰囲気

 

子供たちが喜ばないのではなく、喜びにくい環境や雰囲気であることが原因だと、僕は分析しました。

 

①結果至上主義

サッカーというスポーツは、フィギアスケートや体操競技のような採点競技ではありません。「2対1」というような数字で、ハッキリと結果が出るスポーツです。当たり前ですが、相手チームよりもゴールを多く奪った方が勝てるスポーツなので、結果に拘ることは必然の行動です。

しかし、その結果(=勝利)を監督や指導者である大人が意識し過ぎてしまうあまり、結果至上主義(過程はどうであれ結果さえ良ければよし、結果が全てだ、という考え方)になってしまい、その価値観を子供たちに押し付けてしまう。そうなると、子供たちは目の前にある成功自体(=ゴールを決めたこと)に対して喜べなくなってしまうのではないかと思います。

本来、ゴールを決めることや試合に勝つためには(=結果を出すためには)、その結果に到るためのプロセス(=過程)が重要です。

しかし、目的である”結果”を意識し過ぎてしまうと、とても重要な要素であるプロセス(=過程)を疎かにしてしまいがち。

その状況に陥っている大人(監督や指導者)の鏡となって、子供たちがゴールを決めても喜ばない姿となっているのではないかと、僕は考えました。

何度も繰り返しますが、サッカーというスポーツは数字でハッキリと勝ち負けが分かるスポーツなので、結果に拘るのは当たり前です。

しかし、その結果に至るまでのプロセスも同じぐらい重要で、その結果とプロセス(=過程)のバランスが崩れてしまい、結果至上主義のような状況に陥ってしまうことが、子供たちの笑顔を奪っているのではないかと思います。

 

今回僕が遭遇した場面に置き換えると、ゴールを決めても喜ばなかった子供たちは、もしかしたら全国大会出場やプロサッカー選手になることを目標にしているのかもしれません。

とても壮大な夢があって、凄く良いことだと思います。

しかし、その夢(例えばプロサッカー選手)を達成するためには、そこに至るまでのプロセス(=過程)が大切。

その子供たちにとって一番大切なことは、大きな目標(=プロサッカー選手になること)を達成するために、いま自分の目の前にあることに全力で取り組むこと。

即ち、彼らにとって大切なのことは、いま行っている練習試合を全力で取り組むこと。

そして、”全力でサッカーに取り組むこと”というのは、辛い修行のような取り組みを指すのではありません。

全力でボールを追いかけ、全力で味方と協力し、全力でゴールを奪いにいき、全力で自陣ゴールを守り、全力で勝利を目指す。

そして、ゴールが決まったり、試合に勝利すれば、全力で喜ぶ。

逆に、ゴールを決められたり、試合に負ければ、全力で悔しがる。

全力で、自分という存在をピッチの上で表現する。

これが、僕が考える”全力でサッカーに取り組む”です。

 

いま目の前にあることを全力で取り組めない子供が、プロサッカー選手という夢を達成することは極めて困難だと思います。

そして、全力で取り組むこととは…

サッカーというスポーツ自体を純粋に楽しみ、サッカーで勝つために自分たちで工夫し、上手くいったときは全力で喜び、階段を一歩登れたら、また新しい次の課題に向かっていくこと、だと思います。

そのような環境や雰囲気を作ることが、大人の役割ではないでしょうか。

 

自己肯定感

 

②自己肯定感

日本の子供たちは、自分自身に対して”自信”を持てていないと感じました。

だから、ゴールを決めても喜べない。

 

これは、僕が海外で生活することで気付いたことでもあります。

例えば、現在暮らしているモンゴル。

ここで暮らす人たちは、良い意味で、自分自身に対して自信に満ち溢れている人たちが多いです。

 

とあるエピソードをひとつ。

去年、僕が公式戦でベンチに座っていた時、同じく試合に出ていなかったモンゴル人選手の彼は、こう言いました。

「この試合、オレが○○と交代してプレーした方が試合に勝てる。」

と。

でも、この台詞を言った選手…

実は、普段の試合で全く試合に絡んでいなかった選手でした。

でも彼は、自信満々に真顔でこの台詞を放ったあと、ウォーミングアップを始めました。

(その後、本当に交代出場しちゃいました!)

 

彼は、普段試合には出ていませんでしたが、

「あまり試合には絡んでいないけど、自分にはこの武器がある」自分自身を肯定することができていたので、その部分(自分の武器)に対して自信を持っていました。

そして、試合展開を見て「自分の武器を活かす場面が来た!」と確信し、ウォーミングアップをする、という行動に移したのでしょう。

彼は、自己を肯定する能力が高かったのです。

結果、普段は試合に出ていない選手だったのに、この試合には途中出場しました。

 

もし、日本でこのような選手がいたら

「なんだか痛いヤツだな~」

「勘違いしちゃってるな~」

「何勝手にアップしてるんだよ~」

と思われて、終わっちゃいそうですね。

最悪、仲間はずれ等の原因にもなるかもしれません。

 

しかし、モンゴルだけではなく、僕が過去にプレーしたタイやニュージーランドでも、自分に対して自信満々の選手達を沢山見てきました。

そして、そのような選手達が重要な場面で結果を残す姿を、僕は何度も見てきました。

では、なぜ海外では自己肯定感が高い選手が育つのか。

ざっくり言うと、無意識に自分に自信を持てるようになる環境だからです。

「自分は、生きる価値のある人間なんだ」と思える環境であるから。

と、言い換えることができます。

 

 

具体的に説明します。

 

●感情表現がストレート

日本人はシャイな人種だと言われる事が多いですね。

逆に、外国人は感情表現が豊かでストレート。だから、初対面の人とでもすぐに仲良くなっちゃう。日本から見た海外の人たちのイメージは、このような感じではないでしょうか。

実際、モンゴルの人たちは

「あなたに会えて良かったよ!」

「お前とは親友だからな!」

「また会えて嬉しいよ!」

と、感情をストレートに表現してくれます。

照れることなく、自分の気持ちをはっきり言葉で発してくれます。

また、言葉だけではなく、握手やハグ、ボディータッチのような形で、感情を表現してくれることも多々あります。

他者から、自分が愛されていること(認められていること)を実感しやすい環境であると言えるでしょう。

(怒りの感情も、同じくらいストレートに表現してくれます。笑)

 

しかし、日本では

「行動で示す」

「背中で語る」

「雰囲気を読む」

というように、語らないことの美学みたいなものが存在します。

日本人の全員が感情表現が苦手だとは思いませんが(逆もまた然り)、やはり海外の人たちに比べると、感情をストレートに表現することは上手くないと思います。

ということは、”自分が大切にされている”と思える機会を逃している回数も多く、感情表現が得意な海外の人たちと比べると、自分を大切に思えていない。

その結果、自己肯定すること難しい環境が出来上がってしまうのです。

 

話をサッカーに戻します。

普段から自己肯定感が高くなる環境で育ったモンゴル人選手の彼は、自分の武器を自分自身で認めていたから、自らウォーミングアップを始めて、終いには試合にも途中出場する結果に。

もしゴールを決めていたら、誰よりも目立って、誰よりもかっこいいゴールパフォーマンスをしていたことでしょう。

おそらく、サッカーの実力などは全く関係なく、彼は自信を持っていました。

 

逆に、ゴールを決めたにも関わらず喜ばなかった日本の子供たちは、

「この相手にゴールを決めても、まだまだ課題はあるから…」

「こんなに点差が付いた試合では、ゴールを決めて当たり前だ」

「ここでゴールパフォーマンスなんてしたら恥ずかしいな…」

と、自己肯定感が低い状態だったので、喜びを表現できなかったのではないでしょうか。

”ゴールを決めた” というサッカーの実力があるのに…です。

自己肯定感が低いこと。

これが、日本の子供たちがゴールを決めても喜ばなかった原因のひとつであると、僕は考えます。

 

まとめ

 

日本の子供たちがゴールを決めても喜ばなかった理由…

それは、

①結果至上主義に陥っている

②自己肯定感が低い

以上が、僕が考える理由です。

 

もちろん、この理由だけが全てではないと思います。

たまたま僕が見た、ゴールを喜ばなかった子供だって、全国大会の切符が掛かった試合でゴールを決めれば、喜びを爆発させるかもしれません。

 

僕が言いたいことは、普段の練習や普段の生活から、もっと自己表現をして、自己肯定感が高くなるような社会になり、結果だけではなくプロセスも自然と大切にできる世の中になれば、日本のサッカー界にとっても大きなプラスになる!ということです。

ボールを扱う技術があって、チームプレーが得意で、90分間走り続けることができて、俊敏性もある。

これだけの武器を持っているにも関わらず、メンタル面での弱さが克服できずに、あと一歩のところでベスト16の壁を越えられないのが、今の日本サッカー界。

そのメンタル面というのは、一昔前の部活のように、修行のような辛いことに耐えるメンタリティーではなく、どんな状況でも自分の持っている力を100%発揮できるようにすること。

自分の力を100%発揮するには、モンゴル人選手の彼のように、自己を肯定し、「ここぞ!」という場面で、自分が持っている武器を存分に発揮することです。

 

将来、ワールドカップでベスト16の壁を越える時に活躍するのは、自己肯定感が高い選手です。

この場を借りて、断言しておきますね。

この選手、自己肯定感が高そうだな~。

※出典:ゲキサカ(https://web.gekisaka.jp/

 

大津一貴

 

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About The Author

大津 一貴
夢を諦めて一般企業へ就職するも、22歳でがんを患い生き方を改める 。その後、脱サラして海外でプロサッカー選手に。モンゴル1部・FCウランバートル所属。1989年10月25日生まれ、北海道出身。

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