「もう一度ピッチに立ちたい」31歳・欧州挑戦

「もう一度ピッチに立ちたい」31歳・欧州挑戦

「2019年10月23日」

 

これは、自分がサッカー選手としてピッチに立った最後の日付です。

2019年のモンゴルリーグ最終戦、マイナス15℃という極寒の中で開催された試合。所属していたFCウランバートルは、8-0の大勝でシーズンを締め括りました。

その後、他国へ移籍することを模索しましたが、翌2020年シーズンもオファーをくれたFCウランバートルと契約を更新。30歳の節目を迎えた自分にとって、現役サッカー選手としての「終わり」を意識し始めた時期でしたが、自分を必要としてくれるチームのために全力を注ぐことを決意しました。

 

そして、

「FCウランバートルでモンゴルリーグを優勝する」

この目標が、残りの現役生活で成し遂げたいことになりました。

 

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2019年末に日本へ帰国し、2020年3月にモンゴルへ渡航する予定でしたが、それと同時に新型コロナウイルスの感染拡大が猛威を振るい始めました。

中国と隣接するモンゴルでは、世界のどの国よりも早く国境を閉鎖し、日本-モンゴル間の往来ができない状態に…。

その当時、コロナウイルスの猛威がどれほど影響を及ぼすのか誰にも検討が付かず、チームのスタッフからは「来月に渡航できるかもしれないから、準備しといてくれ」と、毎月言われ続けていました。

 

もう一度ピッチに立つ日が、いつになるか分からない状況…。

それでも、「優勝するんだろ!?」と自分に言い聞かせて走り続ける日々は、光の無い闇の中をひたすら突き進むような感覚で、ストレスに耐えられず一人で泣きじゃくった日もありました。もし、コロナウイルスを擬人化できるなら、今すぐにでも殴り倒したいと本気で思っていた時期もありました。

しかし、時間が止まることはありません。

モンゴルリーグは、例年より3ヶ月遅れの2020年7月に開幕。自分はそのピッチに立つことはなく、ネットでの中継画面を日本から見守ることしかできませんでした。

リーグ開幕後も現地に渡航できる目途は立たないまま、2020年はモンゴル現地へ行くことができずにシーズンは終了。チームは優勝まであと一歩のリーグ2位となり、その光景を画面越しに眺めることしかできませんでした。

悔しさ、怒り、悲しみ…。様々な感情が頭の中をめぐり、一時は全くトレーニングをしていない期間もありました。

 

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2021年2月、「今年こそ一緒に戦おう」と、FCウランバートルから再度オファーを受けました。

「今年も渡航できなかったらどうしよう…」という不安があったのは事実です。しかし、募りに募った悔しさを晴らすには絶好のチャンスであり、断る理由はないと思いまた。

そして、どんな事情があったとしても、1年プレーしていない自分を必要としてくれるチームがあるだけでも、大変ありがたいことでした。

「今年こそピッチに立って優勝する」という決意の元、オンラインで契約書に2021年シーズンのサインを交わしました。

 

しかし、コロナウイルスの猛威は収まることなく、このブログを書いている現在も各方面で多大な影響を及ぼしています。

そして、自分は未だにモンゴルへ渡航できる目途が立たないのが現状です。

 

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気がつけば、最後にサッカー選手としてピッチに立った日から1年半以上の月日が過ぎました。

しかも、契約しているチームがあるにも関わらず、、、です。

当然、時間とともに年齢も重ねていくので、自分は今年の10月で32歳を迎えます。プロサッカー選手の平均引退年齢が25〜26歳と言われる中、本格的に「ベテラン」と呼ばれる領域に差し掛かってきました。

 

だからこそ、挑戦するなら「今」だと思いました。

モンゴルでの優勝は、今も変わらず心の底から達成したい目標の1つです。しかし、その目標を達成するには、自分が「サッカー選手であり続けること」と同時に、「挑戦者であり続けること」が重要だと考えました。

 

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突然ですが、6月17日に日本を旅立ちました。

向かった先は、欧州のリトアニア

2021年6月現在、PCR検査の陰性証明があれば渡航できる状況にあり、日本から入国できる国の1つです。その状況をふまえて、現地に乗り込んでトライアルに挑むことにしました。

 

もちろん、チームと契約ができる保証はありません。自分の居場所は、自分の実力で掴む必要があります。

大卒の年齢でも厳しいと言われるヨーロッパ。そのような環境に30代で挑む自分は、傍から見れば無謀なヤツに思われるかもしれません。しかし、自分が初めてプロのピッチに立ったのは、サッカー選手として引退を迎える平均年齢の25歳だったときです。

常識にとらわれず、自らの意思で可能性を広げ、新たな世界をこの目で確かめてきた「経験」が、自分には存在します。

だからこそ、今回も自分らしさを発揮し、全力で挑戦することを楽しみたいと思います。

 

「もう一度ピッチに立ちたい」

この想いが、今の自分を突き動かしています。

 

 

スポンサー募集について

 

今回の挑戦にあたり、「スポンサー(支援金)」を募りたいと考えました(個人・企業問わず)。

現地クラブからのオファーがある訳ではなく、自らを売り込みに行く状況です。そのため、渡航費、PCR検査費、宿泊費、帰国時の隔離費用(その時の状況による)等、実費での負担が多くなります。また、チームと契約できた場合、その後も継続的にサプリメント購入や身体メンテナンスなど、パフォーマンスの維持&向上させることに投資する費用を確保したいと考えています。

そこで、もし私の挑戦に賛同して頂ける方がいらっしゃいましたら、下記の支援フォームよりご登録をお願い致します。

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大津一貴

 

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About The Author

大津 一貴
夢を諦めて一般企業へ就職するも、22歳でがんを患い生き方を改める 。その後、脱サラして海外でプロサッカー選手に。モンゴル1部・FCウランバートル所属。1989年10月25日生まれ、北海道出身。

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